皆さんは「肥後守(ひごのかみ)」と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。その名前から具体的に何かを想像するのは難しいかもしれません。しかし、昭和中期ごろまでは、この道具を知らない人はいないほど多くの人々が愛用し、生活に溶け込んでいました。
その肥後守とは「折りたたみ式小型ナイフ」のことです。
金物の町、三木市で生まれた国民的ナイフ
刃物製造の産地である兵庫県三木市で、この肥後守をたった一社で作り続けているのが「永尾かね駒製作所」です。この工場の五代目である永尾光雄さんは、もともとサラリーマンでしたが、父親から肥後守の製造を継承し、オリジナルで新しいスタイルのナイフ作りに励んでいます。一度は途絶えかけた肥後守ですが、実は今では一部のコレクターや海外のナイフファンにも注目され、世界規模で密かなブームとなっています。
元々この地域は「三木金物」として有名で、のこぎりをはじめとした金属製の作業工具を製造する工場が多く立ち並んでいます。鍛造によって作られる肥後守も例外ではなく、かつては多くの鍛冶屋がこの地域に存在していたと記録されています。肥後守は、主に児童が鉛筆削りに使ったり、木や竹を加工して遊び道具を作る際に使ったり、果物の皮をむいたりと、生活のあらゆるシーンで使われ、まさに国民的ナイフといっても過言ではありませんでした。文房具屋をはじめ至る所で販売されており、子供たちのお小遣いでも買えるほど安価でした。後にカッターナイフが台頭しますが、それと同じくらい多数の肥後守が流通していたと言われています。ちなみに一説によると、肥後守という名前は当時の取引先の多くが九州南部だったので、熊本の旧国名を取ってこの名をつけたとも言われています。
肥後守は主に鋼を軟鉄で挟み込んだ「割込」という構造で作られており、これは包丁作りにも用いられる技法です。使用する鋼も安価なものだけでなく「青紙」という高級な鋼を使用した製品もあります。持ち手は真鍮を折り曲げた構造で、刃をかしめて取り付けられます。製造工程は量産的ではあるものの、刃の部分は伝統的な鍛造で作られており、何度も焼き入れては叩きを繰り返し、粘り強い刃に鍛え上げられています。元々子供向けとはいえ、刃物としては本格的な切れ味と強さを持っています。
若手のスタッフも在籍。丁寧に自分の作業を説明してくれたのが印象的でした。
国や世代を超えて愛される肥後守
永尾さんはシンプルな肥後守だけでなく、市場を開拓するために多くのバリエーションの商品を展開してきました。サイズの大小をはじめ、グリップに独特な意匠が表現されたもの、刃の部分が蝶を模したデザインに加工されているものなど、どれもアイデアが凝ったものばかりです。
これまで作ってきたナイフ。多くの種類があるが基本は全て“肥後守”
一度は衰退してしまった肥後守ですが、永尾さんの努力の甲斐もあり、今では多くのファンがこのナイフに興味を持ち、支持しています。特に海外ではアウトドアへの関心が高く、携帯するナイフにもこだわりを持つ人が多いそうです。かつてフランスで発行されているナイフ専門の雑誌に、数ページにわたって掲載されたこともあり、肥後守が世界で愛されていることを実感しました。テレビ番組にも何度か取材されたことがあり、ゲストとして「藤岡弘、」さんが工場に訪問された時には、懐かしそうに肥後守でりんごを剥いてくれたそうです。
フランスのナイフ雑誌、この文量で数ページぎっしり解説されている。
また、長野県にある池田町立会染小学校では、教育の一環として肥後守を全校児童が所有する習わしが40年も続いているそうです。毎年PTAが入学する児童のために購入してプレゼントをしています。児童たちは鉛筆削りや授業の工作など、かつてと同じ用途で愛用しているそうです。ある日永尾さんは児童直々の連絡を受けて同校に招かれ、肥後守の使い方の実習をされたことがありました。授業を通して永尾さんは「子供達はしっかりとした手つきでナイフを扱えていて本当に感動した、これからも作っていく励みになりました」と、驚きの印象を持ったと共に、自身の仕事の大きなモチベーションになったそうです。
実は永尾さんが父親から事業を継いだのは10年ほど前。それまではサラリーマンとして働いていました。休日には父親に同行し百貨店での販売を手伝うこともありましたが、当時の会染小学校の教員が神戸に来られた際、児童さんたちの話も耳にしていたそうです。事業継承を相談された時は悩みましたが、決意した理由の一つに小学校との関係があったと言います。学校や子供達の活動が、途絶えかけた伝統工芸を繋いだ瞬間だと取材を通して実感しました。
肥後守、想像力の原点
商品の営業をしていると「これは何に使うの?」と質問されることがあり、その度に少なからず悲しさがあると永尾さんは言います。しかし、先ほど紹介したフランスのナイフ雑誌の中で、肥後守が評論されていた一説によれば「肥後守は想像力の原点である」というような表現がされていたそうで、永尾さんはその言葉にとても共感していると仰っていました。「ナイフ一本あれば、何か物を作ったり食べ物も加工できる。これをいかに使うか想像するという意識を持って使ってくれたら嬉しいです」と永尾さんは言います。
あらゆる道具が一つの作業に特化されていき、物が過剰に溢れる時代にあって、シンプルながら切れ味の良い肥後守は、使い手のアイデア次第で万能ツールになります。かつてのような、生活と道具を通して想像力を働かせる習慣。それが失われかけている今の時代において、永尾さんや愛用者の人たちが奇跡的に肥後守を繋いでくれたことは、非常に大きな意味を持つのではないでしょうか。
取材・撮影・文:森下 大喜