800年の歴史ある紙郷で、職人が手漉きした丈夫で美しい和紙
京都府綾部市黒谷町・八代町と、その周辺地域で作られた黒谷和紙。その歴史は黒谷で紙漉きが始まってから800余年にもなり、京都に残る数少なくない紙郷にある昔ながらの工房で、今も良質な楮(こうぞ)を原材料として、職人による「手漉き」(てすき)で一枚一枚、丁寧に作っています。
黒谷和紙のような手漉き和紙は、丈夫で強く、長持ちするのが特徴です。楮の太くて長い繊維を手作業でしっかりと絡み合わせるため、耐久性に優れ、保存環境が良ければ1000年以上も保管できると言われています。また繊維がしっかりと絡まっているため破れにくく、水に濡れても脆くなりにくいため、日常生活の中に欠かせないものとして古くから提灯、和傘、障子、包装などに活用されてきました。大正時代には政府から「日本一強い紙」として認められ、乾パンを入れる袋としても重用されたほか、長期の保存にも耐えられることから世界遺産に登録された元離宮二条城の障子など、文化財にも使用されるなど伝統を支える存在でもあります。
人々に寄り添う「黒谷綜布」の新たな取り組み
最近では、「黒谷綜布」と名づけた、手漉きの黒谷和紙を材料に織り上げられた布も制作。これを使った色鮮やかなストールなどを制作、販売しています。元々、和紙は防寒性に優れた衣服として、江戸時代の頃に広く活用されていました。
紙製の布の「紙布」も同様に幅広く普及したものの手間がかかることから、近代化にともなってあまり注目されることがなくなりました。
そのため「黒谷綜布」は、織物に適した和紙づくりから、絹糸との織り方、染色方法などを実現に向けて丹後ちりめんの職人らと共に研究からスタート。京丹後市にある試験研究機関に通い、技術相談や試験を繰り返し、ようやく安定した品質が確保できるように。
経糸(たていと)に絹糸を、緯糸(よこいと)に黒谷和紙の紙糸を使用し、手漉き和紙から紡ぐ糸ならではの不規則なふくらみ(ふし)が特徴。伝統的な「からみ織り」という技法で織り上げ、用途に合わせて「京鹿の子絞」で染めています。伝統的な染めの技法を生かした鮮やかな色合いと、和紙の持つしなやかさや強さ、調湿、保温などの特性が京丹後の織りの技術で、そのまま受け継がれました。
職人それぞれで試行錯誤しながら自分にあったベストな漉き方やベストな濃度を見つけていく
「体力が続く限り、紙を漉き続けたい」
2016年に黒谷に移住して、和紙職人として活躍されている岩手出身の茂庭弓子さんは、元は北海道の小学校教員でした。ある時、指導要領の改訂で日本の伝統と文化を学ぶ項目が加わったのを機に、工芸など地域文化に関心を抱くように。そうした頃に、2011年の東日本大震災が発生。被災した宮城県仙台市の小学校へ教師として派遣されることとなり、そこで地域の伝統産業である「白石和紙」と出会いました。植物から美しい和紙ができあがっていく手漉きの工程に衝撃を受け、教師という人と関わる職業から、残りの半生は自分自身と向き合おうと、人生の転機を迎えます。和紙職人になろうと全国を渡り歩き、ほかの産地に移住。修行を積みながら、黒谷で研修生の募集を知り現在にいたります。
「体力が続く限り、紙を漉き続けたい。引退したら、今度は漉き屋さんの手助けになることをずっと続けていきたい。それがわたしの夢です」と茂庭さん。原材料となる楮の栽培に始まり、完成までの工程で少しでも手を抜くと、次の工程で倍返しになる。同じ材料を使っていてもその日の気温などによって全く調子が違ってきたりと、難しいことが多い和紙づくり。しかし、それらすべての工程から生まれる美しい和紙に魅せられたからこそ、苦労の中にもやりがいや面白さがあるといいます。
「新しい布」として発信するため、人に寄り<沿う>想いと、<一つにすべる>意味をもつ<綜>の字を入れ、と名付けられた「黒谷綜布」。黒谷和紙の歴史と受け継がれた技術、そして和紙職人としての茂庭さんの想いが、人々の暮らしに寄り添い、未来へと繋がっています。
取材:新 拓也 撮影:森下 大喜 文:大西 健斗