銀師(しろがねし)としての歩み
東京での銀器づくりの始まりは江戸時代中期。銀師(しろがねし)とよばれる銀器職人や、櫛、かんざし、神興(みこし)金具等を作る金工師とよばれる飾り職人が登場し、町人の間でも銀器や銀道具が広く親しまれていました。
実は馴染みのある“銀座”の地名も、近世に銀貨の鋳造をしたり、銀地金を売買したりした場所のことを“銀座”と呼んでいたことに由来しています。
銀細工の職人銀師(しろがねし)を生業とする家庭に生まれた上川達映(上川宗達)さん。
平成10年父2代目上川宗照に師事し、鍛金技法を学び始められました。
その後重要無形文化財保持者(人間国宝)である奥山峰石氏の象嵌作品に感銘受け師事。
「作品を前にして、30分くらい動けなかった。ずっと見ていたい、と感じ、自分もこういう作品作りたい、と個人的に弟子入りをお願いした」と宗達さん。
当時受け取った「人間力を鍛えなさい」との奥山峰石氏からの言葉。
「人が作るものだから、そこに考えや人柄が出てくる」との教えが宗達さん自身の考え方にも強く刻まれているそうです。
30歳最年少で銀器の分野で伝統工芸士の認定を受け、令和5年「東京手仕事 GINAME」出展、第48回伝統的工芸品公募展では「日本伝統工芸士会会長賞」を受賞。
1打1打刻まれる心と物理的密度
銀器には、鍛金・彫金・鋳金 の3種があり、宗達さんは「鍛金」の技法を独自に進化させ続けている職人です。鍛金の特徴は、叩くことで金属の密度が高くなること。例えば3Dプリンターで同じ形を作ったとしても密度は高められないため、密度がもたらす強度は鍛金ならではの魅力です。また銀器を落として凹んでしまった場合にも叩き直しによる調整が可能で、長く使うことができます。
銀器を形作る際には、“あてがね”と呼ばれる道具に銀を当てながら金槌で叩きます。
奥山峰石氏に修行当初は、銀には触れず、まずはこの“あてがね”を作るところから始められたそうです。「道具をつくれないと品物になる銀器はつくれない」「道具を追求すれば、個性が発揮できる」との奥山峰石氏の教えから今でもあてがね作りを大切にしています。
「売ってる道具だと、売ってるものでしか銀器がつくれない。自分で道具が作れたら、それだけデザインのアイデアにもなり、無限に作れるものが広がる」とあてがねを手に微笑む宗達さん。
東京銀器には実用性と美術的美しさが兼ね備わる日本特有の感性“用の美”も息づいています。
例えば、湯沸かしの注ぎ口と、湯を入れる部分とは別々につくられ、後から接合されます。
何故なら注ぎ口は湯沸かしを落とした場合出っぱっていて最も傷つきやすいため、他のパーツに比べ厚く鍛造し頑丈にする為です。見た目の美しさと共に実際に使われる姿を見据えて、東京銀器の工程は構成されています。
「手作りは、同じものができない。コピー&ペーストじゃないということは、情報量が違うということ。手で作るいいところは、1/fゆらぎ(心地よいとされる周波数のゆらぎ)があることで、均一の中に不規則があり、ここに心地よさがある。なんで手作りで作らないといけないのか、説明できないものは機械で作った方がいい。」手作りならではの可能性と、仕事を追求されています。
純度の高い素材と知的好奇心
宗達さんが使用する銀は、999と呼ばれる銀の純度が100%に程近い99.9%のものです。
999で、1000ではないのは、造幣局が100%の純銀はこの世に存在しないと宣言したため。
世界的な基準のスターリングシルバー(純度92.5%)で、銀は純度が高くなるほどやわらくなるため、本来素材としてはアクセサリーなどには不向きだが、宗達さんの丁寧な仕事と、鍛金によって固くなるからこそ高純度の銀の魅力が光ります。
宗達さんが高純度の銀999にこだわる理由は3つ。銅が入っていないため酸化せず、黒ずみにくいため、金属アレルギーになりにくいため、銀そのままの色を知ってもらうためです。
はじめに地金の銀を溶かし、この銀を固めたものを叩いて成形していく。
ヨーロッパでは昔からしばしば銀が使われているのも、ドラキュラの十字架や聖杯など元々は悪いものを跳ね除ける意味があったからだとか。歴史的背景を絡めながら語られる宗達さんの銀への関心は技術的なところからはじまり、歴史、銀Agの化学的な部分へ。
「「技術」「歴史」「化学」3つの観点のまじわりにある銀器の奥深さに魅力を感じ、一生をかけて追求して誰よりも詳しくなりたい」
日々探求される銀の魅力を、“本物の銀の色”を通じて世の中に届けられています。
つい手に取りたくなる本質的にいいもの
「買ってみて素敵だと思ったものが、伝統工芸品だった。これが大事なことだろうと思う。」と宗達さん。
「実は伝統工芸の人が作っていて、“そうなんだ!どうりでいいと思ったんだ” というシフトが起きることが望ましい。」と続け、伝統の形式に重きを置くのではなく、伝統の素晴らしさを裏付ける品物そのものの良さを問われます。
宗達さんが目指されるのは、サザンオールスターズの音楽のような存在としての銀器。
老若男女に届くようなモノづくりとして、既存のお客様に加えて若い世代も買いたくなるような商品作りを意識されています。
工房にはアクセサリー、カトラリー、湯沸かしなど、多様な作品を陳列したショップを併設し、顧客の動向を見届けられているそうです。中でも手に取られない商品からこそ老若男女に届くようなモノづくりのヒントを受け取っているとのこと。価格や見た目のバランスを見極め調整を繰り返し、何が本当に良いものなのかを自身も向き合いながらお客さんと接されているそうです。
「今は“使い分けの時代”だと思っていて、“全部伝統工芸で揃えましょう。”ではなく、100円ショップでも費用対効果の高いものもあるから、“いいもの”を使い分けるのがいいと考えている。」
「ただの道具なんだけど、なくなったら涙が出るほど悲しい。そんなふうに思われて大切にされるような想いがあるものを作るのが一番の目標。」と宗達さん。
「“伝統を守らなきゃいけない”と考えながらつくるものではない。楽しんでいなければいけない。楽しめば使う人のことを考えて、こういうふうにやってみようと思ったり、こだわれる。」
軽やかに幅広い世代の暮らしに溶け込みながら、熱く支持される東京銀器の未来を描きます。
取材:伊藤 優利 撮影:山田 純也 文:下野恵美子