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工芸レポート
鎚起銅器の新たな可能性を求めて独立
新潟県燕市の金属加工産業の歴史は400余年。江戸時代初期、越後平野を流れる信濃川の氾濫に苦しむ農民の副業として和釘づくりが興り、その後、鎚起(ついき)銅器産業が発展します。鎚起銅器は一枚の銅板を鎚(つち)で叩いて、ヤカンや鍋、酒器など様々な日用品を作り上げる伝統工芸です。鎚で金属を叩き上げるのみで立体的な製品を作るには熟練の技術が必要とのこと。しかしながら、溶接を使わないので継ぎ目がなく、鎚の跡が表面に残る独特の風合いが出ます。そして使いこむにつれて深みのある色合いとツヤが増し、愛着が湧く道具になるのが鎚起銅器の特徴です。燕市で200年にわたって鎚起銅器の礎を築いた老舗「玉川堂」で修業したのが渡邉和也さんです。

「元々は美術大学で鍛金(金属を打ち出して成形する技法)を専攻していました。『鍛金が好き』という理由で「玉川堂」の門を叩いたのですが、当時は断られました。それでも根気よく門を叩き続け、3回目の訪問でなんとか採用に至りました」と渡邉さん。現在は「鍛工舎」というアトリエを構え、3人の職人さんとともに協業で活動しています。「僕を含む4人は個別に活動していますが、集団で機能することもあります」。
鍛工舎の代表、渡邉和也さん。
鍛工舎の代表、渡邉和也さん。
鎚で叩くことによって立体に仕上げていく。
鎚で叩くことによって立体に仕上げていく。
現代のライフスタイルにもマッチした鎚起銅器 
鎚起銅器は熱伝導率が高く保温性に優れているので、鍋やヤカンなど生活用品の需要があります。ところが、暮らしが変化するにつれてこの需要が低くなっている状況も抱えています。純銅製品は電気抵抗で熱を発生させるIHクッキングヒーターに対応できないデメリットがあったからです。そこで、渡邊さんは鎚起銅器ではあまり使われない溶接技術も駆使し、釜の底にIHにも対応できる素材を組み合わせることで、現代のライフスタイルに寄り添う鍋や釜など、伝統工芸の固定概念にしばられないものづくりを提案しています。

「自分はご先祖様から受け継いだ技術をお借りしてご飯を食べさせてもらっています。その恩返しで、『現代語に翻訳して発信すること』を信条としています。そしてもっと一般の人にも鎚起銅器を体感してほしいと思っています」。
 2023年12月に「鍛工舎」の敷地内にスイーツと共に鎚起銅器のポットで淹れたコーヒーが味わえるカフェ「Bloomy cafe&bake」がオープン。まさに一般の人が鎚起銅器を体感するにはうってつけの場所でしょう。「銅器はお湯の沸きが早く、やわらかい白湯になるんです。このお湯でお茶やコーヒーを淹れるとさらに美味しくなりますよ」。
IHにも対応している鎚起銅器の鍋。
IHにも対応している鎚起銅器の鍋。
鎚起銅器『白湯の釜』の柄杓は、丸いフォルムがどこか愛らしい。
鎚起銅器『白湯の釜』の柄杓は、丸いフォルムがどこか愛らしい。
鍛工舎の外観。左の建物がカフェになります。
鍛工舎の外観。左の建物がカフェになります。
伝統工芸の技術×楽器から生まれた国産ハンドパン
「自分の能力やセンスにはきっと限界があると思うんです。でも、人との関わりから、その可能性は広がります。金属に対するアプローチも人によって違うんです。ハンドパンがいい例だと思いますよ」。

 ハンドパン?ハテナマークが頭に浮かぶ人が多いかもしれません。ハンドパンは2001年頃にスイスで生まれました。神秘的で浮遊感のある音色を響かせつつ、打楽器的なリズムも同時に刻むことができるという、まだ歴史が浅い楽器です。日本国内でハンドパンを製造しているのは、鍛工舎の職人メンバーの一人である時田清正さんを含めて、国内に数人しかいません。
「このハンドパンは僕にとって拡大解釈した工芸というイメージです。僕らが世に送り出すものって、1対1の関係が多いんですけど、この楽器はコミュニティや音楽教室に発展できれば、 1対100という関係も夢ではないと思っています。伝統工芸の技術と楽器が出会うことって世界でもあまりないと思います。形は違えど、このような楽器作っているときにも、代々受け継がれてるものがあるんですよ」。
膝の上にハンドパンを乗せ、素手で叩いて演奏する時田さん。
膝の上にハンドパンを乗せ、素手で叩いて演奏する時田さん。
時田さんは2020年に「地域地域おこし協力隊」として新潟に移住。その後、渡邉さんから金属の扱い方や鎚起銅器の技術を学びながら、ともに国産ハンドパンの開発に取り組んできました。
時田さんは2020年に「地域地域おこし協力隊」として新潟に移住。その後、渡邉さんから金属の扱い方や鎚起銅器の技術を学びながら、ともに国産ハンドパンの開発に取り組んできました。
ハンドパンのチューニング作業。
ハンドパンのチューニング作業。
ハンドパン製作者としても自信をつけた時田さんは2022年、ハンドパンの魅力を発信するためのアトリエ「響楽舎」を立ち上げました。
ハンドパン製作者としても自信をつけた時田さんは2022年、ハンドパンの魅力を発信するためのアトリエ「響楽舎」を立ち上げました。
人間力の掛け合わせで、未知の境地を切り開く
渡邉さんの心に浮かぶのは「他力本願」という言葉。「他者の力を信じたり、リスペクトすることで、自分の仕事もうまくいきます」。
 その言葉どおり、料理家の有元葉子さんとのコラボレーションでオイルディスペンサーを制作したり、音楽家の坂本龍一さんのアートボックス「2020S」では付属オブジェのアートピースの制作を担当するなど、多種多様な人物の依頼にも応じてきました。

「結局は人間力です。依頼者の人間力もあるんですが、技術力はもちろんのこと、コミュニケーション力や製作する体制も含めて、自分も準備しておかないと、大御所が依頼してきても対応できません。でも、おもしろい世の中になったな、と思うんですよ。仕事始めた頃は、個人でHPもちゃんと作っていない僕に、坂本龍一さんの仕事が来るなんてありえなかったと思います」。  本当に必要なものを探している人と、それを作る技術を持っている人が出会いやすくなった今の世の中。渡邊さん率いる「鍛工舎」の人間力の掛け合わせは、まだまだ無限の可能性を秘めています。
取材・撮影:山田 純也 文:西田 めい
鍛工舎
locationPin新潟県
#諸工芸-鎚起銅器
新潟県燕市にて、現代の生活にマッチした鎚起銅器を追求している工房。燕市でもとくに歴史が長い老舗の鎚起銅器工房「玉川堂」で修行をした渡邉和也さんは、LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2017では新潟代表の匠として選出されたほか、数々の受賞歴を持っています。現在は「鍛工舎」というアトリエを構え、3名の職人集団を率いて活動しています。
最終更新日 : 2024/03/22
代表者
渡邉和也
創業年
2005年
従業員
4
所在地
〒959-0113 新潟県燕市笈ケ島4694-1
制作・商品開発を依頼する
「わたしの名品帖」で取り扱っている各工芸メーカーは、独自の光る技術を持っています。 そんな工芸品の技術力を活用したOEMや商品開発などをご検討のお客様はお気軽にご相談ください。
鍛工舎
locationPin新潟県
#諸工芸-鎚起銅器
新潟県燕市にて、現代の生活にマッチした鎚起銅器を追求している工房。燕市でもとくに歴史が長い老舗の鎚起銅器工房「玉川堂」で修行をした渡邉和也さんは、LEXUS NEW TAKUMI PROJECT 2017では新潟代表の匠として選出されたほか、数々の受賞歴を持っています。現在は「鍛工舎」というアトリエを構え、3名の職人集団を率いて活動しています。
最終更新日 : 2024/03/22
代表者
渡邉和也
創業年
2005年
従業員
4
所在地
〒959-0113 新潟県燕市笈ケ島4694-1
工芸レポート
鎚起銅器の新たな可能性を求めて独立
新潟県燕市の金属加工産業の歴史は400余年。江戸時代初期、越後平野を流れる信濃川の氾濫に苦しむ農民の副業として和釘づくりが興り、その後、鎚起(ついき)銅器産業が発展します。鎚起銅器は一枚の銅板を鎚(つち)で叩いて、ヤカンや鍋、酒器など様々な日用品を作り上げる伝統工芸です。鎚で金属を叩き上げるのみで立体的な製品を作るには熟練の技術が必要とのこと。しかしながら、溶接を使わないので継ぎ目がなく、鎚の跡が表面に残る独特の風合いが出ます。そして使いこむにつれて深みのある色合いとツヤが増し、愛着が湧く道具になるのが鎚起銅器の特徴です。燕市で200年にわたって鎚起銅器の礎を築いた老舗「玉川堂」で修業したのが渡邉和也さんです。

「元々は美術大学で鍛金(金属を打ち出して成形する技法)を専攻していました。『鍛金が好き』という理由で「玉川堂」の門を叩いたのですが、当時は断られました。それでも根気よく門を叩き続け、3回目の訪問でなんとか採用に至りました」と渡邉さん。現在は「鍛工舎」というアトリエを構え、3人の職人さんとともに協業で活動しています。「僕を含む4人は個別に活動していますが、集団で機能することもあります」。
鍛工舎の代表、渡邉和也さん。
鍛工舎の代表、渡邉和也さん。
鎚で叩くことによって立体に仕上げていく。
鎚で叩くことによって立体に仕上げていく。
現代のライフスタイルにもマッチした鎚起銅器 
鎚起銅器は熱伝導率が高く保温性に優れているので、鍋やヤカンなど生活用品の需要があります。ところが、暮らしが変化するにつれてこの需要が低くなっている状況も抱えています。純銅製品は電気抵抗で熱を発生させるIHクッキングヒーターに対応できないデメリットがあったからです。そこで、渡邊さんは鎚起銅器ではあまり使われない溶接技術も駆使し、釜の底にIHにも対応できる素材を組み合わせることで、現代のライフスタイルに寄り添う鍋や釜など、伝統工芸の固定概念にしばられないものづくりを提案しています。

「自分はご先祖様から受け継いだ技術をお借りしてご飯を食べさせてもらっています。その恩返しで、『現代語に翻訳して発信すること』を信条としています。そしてもっと一般の人にも鎚起銅器を体感してほしいと思っています」。
 2023年12月に「鍛工舎」の敷地内にスイーツと共に鎚起銅器のポットで淹れたコーヒーが味わえるカフェ「Bloomy cafe&bake」がオープン。まさに一般の人が鎚起銅器を体感するにはうってつけの場所でしょう。「銅器はお湯の沸きが早く、やわらかい白湯になるんです。このお湯でお茶やコーヒーを淹れるとさらに美味しくなりますよ」。
IHにも対応している鎚起銅器の鍋。
IHにも対応している鎚起銅器の鍋。
鎚起銅器『白湯の釜』の柄杓は、丸いフォルムがどこか愛らしい。
鎚起銅器『白湯の釜』の柄杓は、丸いフォルムがどこか愛らしい。
鍛工舎の外観。左の建物がカフェになります。
鍛工舎の外観。左の建物がカフェになります。
伝統工芸の技術×楽器から生まれた国産ハンドパン
「自分の能力やセンスにはきっと限界があると思うんです。でも、人との関わりから、その可能性は広がります。金属に対するアプローチも人によって違うんです。ハンドパンがいい例だと思いますよ」。

 ハンドパン?ハテナマークが頭に浮かぶ人が多いかもしれません。ハンドパンは2001年頃にスイスで生まれました。神秘的で浮遊感のある音色を響かせつつ、打楽器的なリズムも同時に刻むことができるという、まだ歴史が浅い楽器です。日本国内でハンドパンを製造しているのは、鍛工舎の職人メンバーの一人である時田清正さんを含めて、国内に数人しかいません。
「このハンドパンは僕にとって拡大解釈した工芸というイメージです。僕らが世に送り出すものって、1対1の関係が多いんですけど、この楽器はコミュニティや音楽教室に発展できれば、 1対100という関係も夢ではないと思っています。伝統工芸の技術と楽器が出会うことって世界でもあまりないと思います。形は違えど、このような楽器作っているときにも、代々受け継がれてるものがあるんですよ」。
膝の上にハンドパンを乗せ、素手で叩いて演奏する時田さん。
膝の上にハンドパンを乗せ、素手で叩いて演奏する時田さん。
時田さんは2020年に「地域地域おこし協力隊」として新潟に移住。その後、渡邉さんから金属の扱い方や鎚起銅器の技術を学びながら、ともに国産ハンドパンの開発に取り組んできました。
時田さんは2020年に「地域地域おこし協力隊」として新潟に移住。その後、渡邉さんから金属の扱い方や鎚起銅器の技術を学びながら、ともに国産ハンドパンの開発に取り組んできました。
ハンドパンのチューニング作業。
ハンドパンのチューニング作業。
ハンドパン製作者としても自信をつけた時田さんは2022年、ハンドパンの魅力を発信するためのアトリエ「響楽舎」を立ち上げました。
ハンドパン製作者としても自信をつけた時田さんは2022年、ハンドパンの魅力を発信するためのアトリエ「響楽舎」を立ち上げました。
人間力の掛け合わせで、未知の境地を切り開く
渡邉さんの心に浮かぶのは「他力本願」という言葉。「他者の力を信じたり、リスペクトすることで、自分の仕事もうまくいきます」。
 その言葉どおり、料理家の有元葉子さんとのコラボレーションでオイルディスペンサーを制作したり、音楽家の坂本龍一さんのアートボックス「2020S」では付属オブジェのアートピースの制作を担当するなど、多種多様な人物の依頼にも応じてきました。

「結局は人間力です。依頼者の人間力もあるんですが、技術力はもちろんのこと、コミュニケーション力や製作する体制も含めて、自分も準備しておかないと、大御所が依頼してきても対応できません。でも、おもしろい世の中になったな、と思うんですよ。仕事始めた頃は、個人でHPもちゃんと作っていない僕に、坂本龍一さんの仕事が来るなんてありえなかったと思います」。  本当に必要なものを探している人と、それを作る技術を持っている人が出会いやすくなった今の世の中。渡邊さん率いる「鍛工舎」の人間力の掛け合わせは、まだまだ無限の可能性を秘めています。
取材・撮影:山田 純也 文:西田 めい
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