豪雪地帯の厳しい環境が生み出した「牛首紬」
800年以上の歴史を持ち、石川県白山市の伝統工芸品で日本三大紬の一つでもある「牛首紬」。白山工房では、各工程の要所で職人の技術と経験を活かし、1反ずつ想いを込めながら、全国の着物ファンから愛されつづける逸品を製作しています。
牛首紬の歴史は約850年前、平治の乱で敗れた源氏の落人の妻が機織りに精通しており、当時の牛首村(現:白峰)の女性達にその技術を教えたことが始まりとされています。
豪雪地帯として知られる白峰地域では、例年雪が3〜4m積もるのが日常。また平地がほとんどなく、農業にも向いていなかったことから、家の中でできる養蚕や織りが村人の冬場の主な生業になりました。
製造のピークを迎えた大正時代には、絹織物や繭の需要が高まり、当時の村人の約8割が養蚕、糸作り、織りの仕事に従事していたといいます。
一貫工程によって受け継ぎ、守られてきた技術
昔は分業が一般的で、家内操業で糸作りや織りが行われていた牛首紬。しかし、中心的存在だった機屋「水上機業場」が戦後の動乱で潰れると、牛首紬の存続を危惧した西山産業が事業を継承。西山産業は建設業が主事業であるものの、繊維部門を新設し、今の白山工房が誕生しました。
現在、牛首紬を製造するのは、白山工房を含む2社のみ。地域の産業・文化を守りたいという強い想いから、全生産工程を一貫して取り組む全国的にも珍しい方法で製造されています。
牛首紬は、2頭の蚕がそれぞれ糸を出し生まれる「玉繭」から作られます。途中で「節(ふし)」と呼ばれる絡まりがあり、そこから織り成される独特の凹凸が牛首紬の特徴。
見た目は、独特な光沢感がありますが化学繊維ほどのテカリは無く、麻布のようなマット感を持ちつつも滑らか。触り心地は柔らかさと適度なハリ感の両方を絶妙な加減で持ち合わせています。
牛首紬の工程の中で、一番大事なのが糸作り。糸の良し悪しが、出来上がる織物の良し悪しに直結します。職人の目と勘を頼りにおおよそ同じ太さになるよう1本の糸を紡いでいく作業は、3年以上の経験を要してもなお、一人前になれるとは限らないのだそう。
職人が世代を超えてつながり、新しい挑戦をつづける
後染めが一般的な牛首紬において、白山工房では珍しく先染めも行っています。その中でも幻の染めと呼ばれるのが「くろゆり染め」。
白山工房が独自で開発した染めで、海抜800m以上でのみ栽培できるくろゆりの花びら約1万枚を使って色素を抽出し、媒染剤との組み合わせでピンク、紫、黄、緑、グレーの5色の糸を生み出すことができます。
生前に牛首紬を愛用していた直木賞作家 高橋治の小説の中にもくろゆり染めの記述があるなど、その美しさは全国の着物ファンを魅了しつづけており、製造するとすぐに売り切れてしまう逸品です。
くろゆり染めの他にも、白山工房は新しい取り組みに積極的に挑んできました。着物を着る方が年々高齢化・減少するなかで、着物のファンが飽きない商品の開発や若い層にも選ばれる洋服づくりが大事だと考え、日々研鑽と研究を重ねています。
そうした考え方は、職人の向き合い方にも。白山工房には20,30代の若手を含む各世代に2,3名の職人が在籍し、チームによるものづくりを大切にしています。ベテランが技術を牽引する一方で、中堅世代が新しい取り組みを推進する。上の世代から下の世代へ「見て覚えろ」だけでなく、時代に合わせて牛首紬を受け継いでいく姿勢が職人にも根付いています。
「この仕事に就くまで、着物の “き” の字も知らないし、伝統工芸に関わる機会もほとんどありませんでした。でも今は知れば知るほど面白くて、気づけば沼にはまったみたいに抜け出せなくなってしまいました」と笑いながら語るのは、白峰の地で生まれ育ち、白山工房で10年目を迎える西山 幹人さん。
幼い頃に家族が牛首紬をつくる姿を眺めていたものの「継ぐ気はまったくなかった」という西山さんですが、今は牛首紬を守りたいという気持ちが年々強まっているのだそう。
次なるステップは「牛首紬をもっと知ってもらえるよう啓蒙していきたい」と西山さん。時代に合わせて進化しつづける牛首紬と、受け継がれる技術や西山さんの想いが、これからの白山工房の未来を紡いでいきます。
取材:新 拓也 撮影:鶴見 絵里沙 文:有村 奈津美