明治から受け継がれる、木曽漆器のフィロソフィー
木曽漆器は、長野県塩尻市の木曽平沢とその周辺で作られる漆器のことです。経年変化によって温もりある艶が増し、丈夫で美しい漆器になっていきます。明治時代に入り「錆土」と呼ばれる鉄分を多く含む粘土が地元で発見され、漆器の下地に使うことにより質の高い頑丈な漆器が作れるようになり、全国でも有数の丈夫で美しい漆器となりました。庶民の生活に欠かせない日用品や、旅館・ホテルの座卓や飾り棚など多種多様な製品が作られています。
春野屋漆器工房は、明治時代から続く老舗の漆器屋さん。箸やお椀などの漆器全般から、住宅・家具などの建築建材、さらには修理・修復など漆全般に関わる製作をしています。
漆と修理
「漆器屋さんにとって、修理はすごい大事なこと。 SDGsって言葉を耳にするけど、漆の世界は循環社会の最たるもんです。一番先に教わるのは修理。新品を作ることは、工程を追っていけばできます。しかし、何かあったときに修理ができると戻ることができる。どうしても戻さないと行けない時がある。モノが出来上がる過程や仕組みを修理を通して学びます。それが修理っていうことなのです。」と話してくれたのは、家業を継いで40年余り、伝統工芸士の小林広幸さん。木曽漆器工業協同組合の理事長も務めています。
透漉し(とうごし)。ゴミ等を漉して漆の粒子を細かくする。漉した漆の落 ちる速度で粘度も見ている。
春野屋漆器工房には、長く使い込まれた漆器の修理や、漆を施した建材や修復など、難題を抱えている依頼が数多く舞い込んできます。ボロボロになったモノでも、永久保存したい、代々伝えていきたいという使い手の想いに、技術と経験で答えてきました。そして何より、無理難題なオーダーほどワクワクすると、小林さんは楽しそうに言います。
漆と建材
「見たことない修理の依頼とかも含めたら、もしかしたら一番新商品を作ってるのが俺たちかもしんない。新しいものにチャレンジしていく過程みたいなのが面白い。大体でも十個やったって一個も成功しねえ時がほとんどかな(笑)」。
春野屋さんは、これまで床板など建築材料への漆塗りや、漆塗の風呂桶、お寺の修復など建築関係の仕事も数多くをこなしてきました。その中でも思い出深い依頼は、京都老舗の「柊屋」旅館の客室に玉虫の翅を施して漆床にする仕事だったと言います。
「玉虫をその製品にするの最終的に二年かかって、実験だけで一年かかってんですよ。どういうことかっていうと、玉虫を2〜3mm角に細かく張ってくっていうのが玉虫の貼り方なんだけど、どうしても設計士さんが21mm×3mmの細長いのを貼りたいと。しかも玉虫を上から貼るんではなくて、漆の中に埋め込むっていう作業をしたかった。それがある日の夕方、 偶然がカッと重なって、ぽろっとできたの。張り方も含めて、こうじゃないかじゃないかっていうの。いろんなことをやりながらやった時は非常に面白かった」。
煌びやかな翠緑が輝く玉虫貼の漆器は飛鳥時代かの至宝とまで言われていました。小林さんの手で、新しい漆塗りとして現代に誕生させたのです。
失敗の経験を積み重ねる
とても器用な方なのかと思いきや、小林さんは自身をとても不器用な人だと言います。「親父にもずっと言われたけど本当に不器用で。今でもそうですよ。だから創意工夫でやるしか、勝負はそこしかないからさ。こっちで勝負するにはね。本当の器用な人たちは俺が十回やってできないこと三回くらいできちゃう。 いっぱいいるんだもん。で、そういう人たちと勝負しようと思ったら、もう他のところも含めていろんな工夫をしながらやっていくっていうのがやっぱりいいかなとは思うんだけどね。
この仕事はね、第一に経験。技術の習得も含めてだけど一番大事なのは失敗の経験。失敗するでしょう。 これでうまくいかないのどうしてかな?って自分で考えてそれでもどうしても分からなくて、藁にもすがる想いで師匠のところに行くと、うん、そらそうなるわなって一言。てことは、その人も同じ失敗をしている。じゃあもうちょっと頑張ってみようってなって、大体なんとかなるもんなんです」。
そうやって今なお、失敗を積み重ねながら小林さんは新しい挑戦を続けています。
取材:山田純也 撮影:後藤彩実